YouTubeの人気が止まらない勢いですね。そのパイオニアとも言える、今や日本を代表するYouTuberとなったヒカキンさん。
今回はそんなヒカキンさんが、どのようにしてトップYouTuberに登りつめたのか。その生い立ちや、背景にある親御さんにもフォーカスしていこうと思います。
ヒカキンさんの生い立ち
本名 | 開發 光(かいはつ ひかる) |
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生年月日 | 1989年4月21日 |
年齢 | 32歳(2021年9月現在) |
出身地 | 新潟県 妙高市 妙高高原町 |
身長/体重 | 174㎝/90㎏台(2020年時点) |
幼少期
上の動画は「ヒカキンとセイキンの昔の写真公開!」という動画です。その中で2人の幼少期を語っています。
(1:57~)ヒカキンさん1歳3ヶ月のときの夏ですね。プールで遊んでいます。今も兄弟仲がいいですが、昔からそれは変わらないようだったみたいですね。
田舎だから水は普通に飲めたとおっしゃっています。確かに今は水を買う時代ですし、都会だと水道水は飲めないですよね。
小学生時代
1996年4月から、ヒカキンさんは「妙高高原南小学校」に通われていました。そしてヒカキンさんが小学校3年生の時、スキーと運命の出会いをします。
というのも、小学校のすぐ近くにはスキー場が点在していて、スキーとの接点も多かったようです。その時からスキージャンプ競技やノルディック複合競技を始めています。
- スキージャンプ競技とクロスカントリー競技を合わせた種目のこと
- まず最初にスキージャンプ競技で順位を決め、その成績によって次のクロスカントリー競技で時間差のスタートする
- 一番最初にゴールした人が優勝となる競技
順調に思えた小学校6年生の時、スキージャンプ競技で肩の骨を折るケガに見舞われ、不自由な生活を送ることになります。
しかし、病院での懸命のリハビリとヒカキンさんの持前のガッツで、なんとか元の生活に戻りその後もスキージャンプを続けます。
ちょうど同じころ、ハモネプでRAGFAIR(ラグフェア)のおっくんのボイスパーカッションを見てヒューマンビートボックスに興味を持ったのです。
懐かしいですね。「ハモネプ」って、お笑いトリオのネプチューンさんのバラエティー番組が昔ありましたね。3人以上のグループ編成で、楽器を使わず声だけでハーモニーを奏でて上手さを競い合う番組でしたね。
- 日本の4人組男性アカペラボーカルグループ
- その中の1人で奥村政佳(通称おっくん)さんは、ボイスパーカッションを担当
- ハモネプをきっかけに世間にボイパを広めた人物
中学生時代
小学校から徒歩15分弱程離れたところに「妙高市立妙高高原中学校」があり、ヒカキンさんは2002年4月入学してます。
小学生から始めたスキージャンプは中学生でも続けていて、いつ頃からか「オリンピックに出たい」という夢が芽生えていたのです。
夕方からの部活では20㎞を走りこんだり、足腰を鍛えるためのハードな筋トレをしたりと過酷なトレーニングを毎日こなしていました。
努力の甲斐もあって中学時代には全国8位という成績を残しています。のちにヒカキンさんは「青春をすべてスキーに捧げていた」「友達と遊んだ記憶がない」とおっしゃっています。
全国で8番ってすごいですね。そしてかなりの努力家だと感じました。毎日コツコツ練習して大会で形に残す姿はカッコイイですよね。
何か1つでも打ち込めるものがあると、人って強くなれる気がしますね。
コツコツ毎日動画をアップして登録者数1000万人を超える記録を残している姿は、中学時代のヒカキンさんと重なる部分がありますね。
一応高校までスキージャンプしてて、高梨選手と一緒に練習してたんですよー。“@of_JUNICHI: @hikakin 冬季オリンピックの競技種目で何かできるものはありますか?”
— HIKAKIN😎ヒカキン 【YouTuber】 (@hikakin) February 6, 2014
ヒカキンさんは高梨沙羅選手が小学生1.2年生の時に一緒に合宿をしていました。地上でのジャンプトレーニングでは、ジャンプの姿勢をとる高梨選手にヒカキンさんが下から支える役をしていたことがあります。
1996年10月8日、北海道生まれ。スキージャンプ選手として数々の大会で好成績を上げる。2018年の平昌(ピョンチャン)オリンピックでは、ジャンプ競技(ノーマルヒル)で日本人女子史上初となる銅メダルを獲得する。
高校生時代
2005年4月に新潟県立新井高等学校に入学し、そしてヒカキンさんは2006年12月にYouTubeを開設しました。
当時ヒカキンさんは、海外の人がYouTubeにアップしている「ビートボックス」の動画を見て、自分もYouTubeにアップしたら逆に見てもらえるのではないかと思って始めたそうです。
その後ヒカキンさんは、YouTube動画や地元での路上ライブでメキメキと力をつけていきます。
そしてなんと、ヒカキンさんが小学生の時に見ていたハモネプの「ボイパ日本一決定戦」に出場することになったのです。すごいですね。
子供のころにボイスパーカッションに興味を持つきっかけとなった、番組に自身も出るとは驚きです。
総勢109人が出場して勝ち残ったファイナリスト3人が、決勝で対決。惜しくも2位になったヒカキンさんでしたが、パフォーマンスの高さが光り、視聴者に感動を与えてくれました。
社会人時代
ヒカキンさんは高校卒業と同時に上京しています。御徒町駅のスーパーマーケット「吉池」に就職して、乾物コーナー担当で商品のPOP作りをなどしていました。
「え?ヒカキンさんがスーパーに勤務⁉」って思っちゃいました。最初聞いたとき、全然想像がつかなかったですね。
当時ヒカキンさんが住んでいたのは、東十条から徒歩6分のところにある木造2階建てのアパートである社員寮でした。
勤務が終わった後、部屋で一番きれいにな音が響く場所である「お風呂」で、動画を制作して月に1~2本の動画をアップしていたようです。やはりボイスパーカッションは音響が大事ということですね(笑)
2010年6月に公開した動画「Super Mario Beatbox」で日本国内YouTube月間アクセス1位を取っています。その時、アメリカの「CBS News」のトップニュースで取り上げられるほどでした。
いや~、今聞いてもヒカキンさん上手ですね。最後まで聞き入っちゃいました。
その後、2012年には4年間勤めていたスーパーマーケットを退職し、YouTube1本で生活する道を決断します。やはりコツコツと実績を積み重ねて、それが自信につながった証拠ですね。
そして2013年6月にYouTuberの事務所「UUUM」を設立し、最高顧問に就任しています。
↓ヒカキンさんの他の側面も考察してみました↓
ヒカキンさんの親御さん
ヒカキンさんの動画にたまに出演する、お母さんの「ママキン」さん。ヒカキンさんの動画に初めて出演した動画では、1961年生まれとおっしゃっています。
当時は55歳なので、2021年現在は60歳の還暦ですね。一応、プライバシーの関係でサングラスと帽子をかぶっていますが、とても55歳には見えないくらい綺麗ですね。
そんなママキンさんですが、ヒカキンさんがYouTubeで成功を収めた理由の1つにママキンさんの教育理念が大きく関わっています。
それは、「幼少期のヒカキンさんに対して、決して否定や反対をしなかった」ということです。
スキージャンプを始めた時も、ボイスパーカッションを始めた時も、YouTubeで食べていくと決意した時も、決して否定や反対はしなかったようです。
「息子を信じて、したいことさせる。」これがYouTubeで数十億円を稼ぐことになった原点ですね。
お祖父さんの「ジジキン」さんがいらっしゃいます。ジジキンさんは御年87歳。ヒカキンさんの動画に、年1回位のペースで出演されてらっしゃいます。
ハート型のサングラスがなんともチャーミングですね。そしてよくお似合いです。言葉こそ少ないのですが、動きがゆっくりでとても癒されます。
そして最後に気になるパパキンさんなのですが、動画には一切出演されていません。いろいろ調べた結果、正確な時期は不明ですがヒカキンさんが幼い頃に離婚をされているようです。
ヒカキンさんも動画の中でそのことをおっしゃっています。詳しく話しておられませんが、それなりの理由があったのでしょう。
まとめ
- 小学校高学年でヒューマンビートボックスに興味を持つ。
- 高校生の時、ボイパ日本一決定戦で準優勝。
- 高校卒業後は都内のスーパーに就職。働きながら、YouTube動画をお風呂場で制作。
- きれいなママキンさんと、おちゃめなジジキンさんがたびたび動画に出演する。
- ママキンさんの教育理念が、数十億円を稼ぐトップYouTuberに登りつめたヒカキンさんの原点。
いかがだったでしょうか。YouTuberを語るときには欠かせない存在のヒカキンさんです。
生い立ちをみると、スキージャンプやボイスパーカッションなど、相当な努力家であることがわかりました。そして、時代の波に乗るのがすごく上手な方ですね。
これからもスキージャンプのように、より大きく羽ばたいて人生のK点超えを期待したいですね。(ちょっとなに言っているかわからないですね。すいません)